2011/7/14 ◆ ペットレスキュー活動の様子

さる6/15、原発から半径20km圏内にある双葉郡広野町で、ペットレスキュー活動に参加して来ました。 当日は急遽午前休診とさせていただき、患者様方には大変ご迷惑をおかけいたしました。 それゆえ、その日自分がどのような活動をしたか、皆様にご報告すべきと考え筆をとりました。

大地震、津波、断水、ガソリン・食料の不足、原発の爆発…  想像を超えた災害の中、周りの人たちの助けになりたい。 そう思ってはいましたが、実際具体的に何をすれば皆の助けになるのか。 体力勝負の瓦礫拾いなどを手伝っても、ぶっ倒れるなりして他の方の足手まといになるのは明白ですし、 また一方で、院長として自分を頼って来て下さる患者様を最優先するべきであり、 怪我をして手術ができなくなったり、ボランティア活動を優先して診療をおろそかにしたら論外ですし、 何か今の自分に手伝えることを探しては見つからないまま時間だけが過ぎていました。
そんな中、環境省より「避難区域でのペットレスキューに協力をお願いできないか」との打診がありました。 上のように何か自分でも役にたてることを探していた私は、すぐに承諾しました。

当日の朝、集合場所の広野体育館に向かいます。広野町は国からは「緊急時避難準備区域」とされていますが、町としては「避難指示」を出しています。
今回の目的は、一時帰宅する住民の方々が残してきたペットを回収保護し、他地域のシェルターに移送することです。私はこのうち回収作業のお手伝いをします。

前線への中継基地の広野体育館に到着すると、自衛隊、東電、役場の方々をはじめ、たくさんの政府関係者やボランティアが忙しく立ち働いていました。 体育館内では、今回一時帰宅する住民の方々が集まり、注意事項や防護服の着けかたの説明を聞いています。今回の一時帰宅は3時間ほどの予定だそうです。

「ちょっと短時間我が家に戻る」、たったそれだけの行動がこんなに困難を伴うものになるとは… 写真のように、大量のスタッフがサポートに回ります。 担当省庁である環境省、福島県職員の獣医師の先生のほかに、全国から獣医師の先生がおいでくださっています。 川崎市獣医師会の会長でもある馬場先生は、湾岸戦争や阪神淡路大震災でも活躍された先生で、今回もずっと福島にいてボランティア活動にあたっておられます。 本当に、自分が被災してから、たくさんの方から支えていただいていた事を痛感しています。

ミーティングによると、住民の方が残してきた犬猫たちは、一部は鎖を解いたりケージから出して離し、また一部は大量のフードを置いて繋いだままにして避難したそうです。 獣医師として公衆衛生の観点からは繋いだままが望ましいのですが、自分がもしこの状況になったら果たして繋いだまま置いてこれるだろうか。 自問自答しましたが答えはすぐ出ませんでした。

左の写真は、放射性物質から身を守る防護服です。 手足はテープで密閉し、靴もカバーで完璧に防御です。そのわりに首、顔まわりの防御力が低めなのが少し気になりました。 が、とにかく暑い!第一原発では熱中症になられた方もいるようですが、納得の機密性です。 この日はだいぶ涼しくかなりマシだったそうですが、それでもミーティング中だけで汗びしょびしょでした。


他県の警察の方が設置している検問を通過したら、そこはすぐ避難指示区域です。
まず事前に伺っていた1件目のお宅に向かいます。 最初のお宅では、猫ちゃんを1匹保護しました。少し衰弱気味でしたが元気に鳴いていました。 どれくらいの期間どうやって生き延びていたのか興味がわきましたが、 住民の方の貴重な時間を自分の下らない質問で奪うのが申し訳なく、結局聞けませんでした。

次のお宅は少し離れた集落の中にありました。集落に向かうと全く手付かずの瓦礫の山が。 ここは3ヶ月前のあの時から時間が止まったままなんだと思うと、たった1時間離れた小名浜で表面上は普段の生活をしていることが とてもありがたく申し訳なく感じました。



2件目でもワンちゃんが生きていました。 元気に噛み付いてきたので飼い主さんにお願いしてケージに入れてもらいました。


ここまで連続で無事に保護できたので少し浮かれてましたが、次のお宅で現実を知りました。 犬小屋の中で息絶え、半ば土に帰ろうとしている犬だったもの。大量の蝿の群れ。 犬小屋の周りのブラシやオヤツ、大量に置かれたままのフード。 少し前までここには犬と人間との幸せな暮らしがあったのに。 しかし自分は獣医師です。感傷にひたっている場合ではありません。 公衆衛生上の責務を果たさねばと作業に没入することにしました。 胸の中だけで言葉をかけ、消毒のために石灰でご遺体とその周囲を覆いました。 その後巡回したお宅はペットが逃亡しているか亡くなっていたケースがほとんどでした。 猫ちゃんが屋根裏から出て来ず、鳴き声は聞こえるのに捕まえられないというケースもありました。 飼い主さんは非常に名残惜しそうにしていましたが、時間が来てしまい保護を断念しました。 聞けば以前から鳥やネズミなどを狩ってくるワイルドな子だったようなので、 なんとか生き延びてくれる可能性が高いのが救いでした。

基地に戻ったら被曝調査(スクリーニング)を受けて防護服を捨て、今回の任務は終了です。 スクリーニングでは幸い被曝しておらず、除染の必要はないとのことでした。 この後急いで病院に戻り、午後の診察には何とか間に合いました。 来院時間を変更したり、手術を延期させて頂いた患者様には大変申し訳ありませんでした。

結局今回の活動で保護できたのは2頭でした。現在までの実績はこのくらいだそうです(1日平均2,3頭) 事故から3ヶ月経過したことを考えると十分な数なのかも知れませんが、やはりもう少し何とかならなかったかとの疑念が消えません。 ともあれ、起きてしまったからには、事故の収束と復興までの間、地域の皆が互いに支えあっていかねばなりません。 直接インフラの復旧などに参加できなくとも、自分にできる事、自分の職務を全力で果たすことが最善の道であると信じています。 当院はこれからも、いわきの皆様の健康で幸福な暮らしのため、精一杯がんばっていきます。